市長選挙への立候補を決意した理由

今から46年前、私は廿日市(旧大野町)で生まれ育ち、まちの変遷を目にしてきました。
そのまちが、いま消滅の可能性があるとの指摘を受けています。私たちのまちを守りたい。これが原点です。
市民の皆さんの顔を思い浮かべながら、マニフェストを書き上げました。一つひとつの施策を着実に実行し、次の世代にバトンをしっかり渡せるまちにしていきます。

廿日市市長選挙投票率

有権者の多くが棄権した前回の市長選挙。この無関心がもたらしたものとは・・・

市民の無関心をいいことに、まち全体の利益よりも、一部の人達の利益を優先する政治が私たちのまちにはあります。
不公平で不公正な政治を変えなければいけません。それを変えることができる雄一の武器が、皆さんの一票なのです。

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松本たろう 市長選挙出馬表明会見

わたしの想い

議員を目指した12年前の私

私が初当選したのは、平成17年3月の選挙でした。私が議員を目指すようになったのは、この選挙の2年前です。政治が自分たちの生活に影響を及ぼしていることを意識するようになり、時には政治の判断に疑問を持つようになったのです。特に、私たちに一番身近な政治である、廿日市市議会では一体何が議論され、何がどのようなプロセスを経て決まっているのか、全く見えませんでした。周りの人に聞いても、「どうせ何を言っても変わらないよ」と諦めた様子…。「これでいいのだろうか」と自問自答した結果、市議会議員選挙に立候補をすることを決め、後援会活動を始めました。
  しかし、周りは現職議員がすでに地盤を固め、どこに行っても門前払い。非常に厳しい選挙でしたが、“若さ”に期待をしていただいた方のご付託をいただき、何とか当選することが出来ました。

10年間の議員生活で見えたもの

私が議員になった平成17年は、旧大野町、旧宮島町と合併した年です。その2年前の平成15年には、旧佐伯町、旧吉和村と合併していました。
そもそもこの自治体の大合併は、行政の効率化と国が自らの財政再建のため、地方に配分する交付税を削減するために進められてきました。
合併することの見返りとして、国は地方自治体に対して交付税の減額を10年間猶予することを約束しました。つまり、廿日市市は交付税の削減を猶予されているこの10年の間に、行政効率を上げて交付税に依存することのない行政を確立しなければならなかったのです。公共施設の統廃合や人員削減、行政サービスの合理化など、しっかりとした財政基盤をつくり、将来への蓄えをするための大事な期間だったのです。それにもかかわらず、相変わらず国に依存する姿勢を変えようとはせず、次の世代にツケを回し続ける市政は変えなければいけないと痛切に感じるようになっていました。

市議会議員の限界

私は10年間、市議会議員の立場で行政を見てきましたが、今ほどまちの未来に危機感を感じたことはありません。廿日市市は、県内の人口10万人を超えるまちで唯一、「消滅可能性都市」の指摘を受けています。これから人口が減り、税収も減る中で、この危機的状況を回避するための策が全く見えてきません。しかも、増えすぎた「ハコモノ」をはじめとした公共施設のあり方など、将来のリスクに対応するための具体策が何ら見出されていないのです。更に、市役所内部には『こんなもんでいいんだ』という雰囲気が漂い、職務における成果や結果を出すことへの貪欲さが薄れているように感じています。私は、議会でこの危機的状況を回避するための策を幾度となく提言してきました。しかし行政執行部は、できない理由ばかりを並べ、どうしたらそれが出来るのか考えようとしないのです。もう変わらなければならないことがわかっていながら、変わろうとしないのです。旧態依然とした行政を変えるには、市議会議員のままでは限界があると感じました。私は、市民の皆さんと一緒に新しい廿日市市をつくるために、10月の市長選挙に挑戦することを決意しました。